HSPが体験した震災

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2011年3月11日、私は企業から大学へ派遣され、研究室で働いていました。あの日、応接室で大学関係者と上司の打ち合わせの準備をしていました。応接室には、重厚な木製の棚がいくつも置かれており、お酒や陶器などが飾ってありました。パソコンをプロジェクターにセットし、準備が終わると打ち合わせの3時までには時間がありました。

一度、自分の居室に戻り、打ち合わせまで他の業務をしていたところ、突然大きな揺れが起こりました。机の脇のヘルメットを取り、慌てて机の下に潜り込み、恐怖に震えながら、この揺れがいつ終わるのかとただただ祈るばかりでした。向かいの机の下の学生が目をまんまるとしています。大きな揺れ、いやそれ以上に揺れの長さにおどろきました。いつまでたっても揺れがおさまらないのです。

5分ほどしてようやく揺れがおさまった後、居室の学生たちの点呼を行い。実験室にいる学生を除き、全員で校舎から避難することにしました。しかし、外へ出る金属製の扉が地震の影響で歪んでしまい、開けることができません。数人の学生と力を合わせ、扉に体当たりをしてようやく開け放つことができました。外は想像以上に寒く、雪がちらついていました。震えながら外に出てみると、学生たちが互いに体を寄せ合い、体温で暖を取っていました。私は普段から寒がりなので、ダウンジャケットを着ていたおかげで助かりました。

その後、大学になんとかたどり着いた上司と合流。放送では危険なので校舎内に立ち入らないように呼び掛けていましたが、PCには重要な研究データが残されていたため、危険を承知で校舎に突入しました。頭の中ではメトロイドの脱出シーンのようなbgmが流れていました。アドレナリンがでているのか恐怖を克服する力が湧いてきます。応接室に戻ると驚くことに棚はすべて倒れていました。そこに待機していたらどうなっていたことか。PCを回収すると校舎をだれもいない校舎を脱出しました。数分置きにおこる激しい余震。停電した薄暗い廊下を疾走しました。

新幹線の再開のめどが立たないとの放送を携帯で聞くと、上司と共に、私の実家がある関東へと車を走らせました。「海岸に多数の遺体が流れ着いたとの情報があります。数は・・数えきれないとのことです」、「避難を呼びかける防災タワーと連絡が取れません。防災タワーより高い津波が発生した模様です。高さは分かりません。皆さん逃げてください。」と生まれてから聞いたことのない、そしてもう二度と聞きたくないアナウンスをアナウンサーが必死で呼びかけていました。

高速道路は止まっていましたが、4号線は生きていました。片側だけの場所もありましたが、多くの作業員が黙々と道路を直しています。スピルバーグの「宇宙戦争」のような静かな、恐怖が渦巻いています。まっすぐな道に差し掛かったとき、見渡す限り電信柱が中央に傾いていました。信じられない光景に思考がしびれてきます。

燃費の良いプリウスでもインジケータはどんどんと下がっていきました。通常であれば3時間でつく関東までの道のりは、渋滞かつ下道であることで深夜になっても半分も来ていません。ガソリンスタンドはどこも長蛇の列で、燃料が手に入らず焦りを感じました。「もうちょっと情報収集した方がいいじゃないか」という上司の呼びかけに「いまやってますよ、そっちこそもっと手伝ってくださいよ」とハンドルと携帯をいじりながら言い返しました。上司との間にも、些細なことで言い争いが起こるなど、精神的に追い詰められていきました。最悪どこかに停車し、車で夜を明かす覚悟をしました。

しばらく走っていると、これから向かう福島方面の第一原子力発電所の状況が刻々と悪化しているというニュースが聞こえました。もうなにがなにやら。それまでの人生で起こった最悪の事態がたった数時間に濃縮して押し寄せています。心の中に「ひょっとしたらここまでか」という考えが浮かびました。たいした浮き沈みも、修羅場も無かった人生でこれが最後なのか。と思い始めました。

幸運なことに列が少ないスタンド見つけました。並びますが、ここもすぐに売り切れになるかもしれません。ドキドキしながら順番待ちをしました。あと数台まできて、もう大丈夫と分かると上司と笑顔で顔を見合わせました。その後関東に近づくと道はすきはじめ道中は快適になりました。時刻は明け方に近づいていました。

埼玉に入って安心して運転していたとき、長野で震度7の大地震が起きたとのニュースを聞きました。このとき、人生に数回しかない、本当の恐怖に襲われました。もう日本はだめだ。目は開き、動悸が激しくなったの覚えています。「大丈夫か」との上司の問いかけにも返すことば無く、無言だったのを覚えています。

ようやく上司の家に到着し、送り届けた後、妻の実家へとたどり着きました。朝8時ごろだったと思います。到着すると妻と娘が玄関にきて、えも言われぬ顔をしてます。まさに「宇宙戦争」のラストシーンです。人生で唯一映画のような半日でした。平凡な人生を歩むHSPがある日、突然直面したエキサイティングな一日でした。

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