日航123便 -自分なりの考察-

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youtube動画はあの手この手で視聴者の関心を捉えに来ますね。最近なぜか日航123便(1985年)が取り上げられています。今日はこの件について考えてみたいと思います。自民党の西田参議院議員が、この問題を取り上げ、関係者からヒアリングをした動画を上げたところ追求が甘いと炎上しているようです。なんでボイスレコーダーが公開できないのか。多くの方のコメントはそこに集中していました。確かにその通りです。これだけ多くの死傷者を出し、大きな悲しみと疑惑を生み出した事件が、ボイスレコーダーを公開するだけで、その疑惑の7割ぐらいは消えてしまうのではないでしょうか。なぜ公開できないのでしょうか。一部公開(公開というより、意図的な?流出)されているようですが、最も重要な横田基地への着陸を試みたあたりの会話は不自然に無いようです。

いくつかの動画を拝見し、森永卓郎著「書いてはいけない」も読みました。確かに皆さんご指摘の疑惑が湧くのも無理はありません。ただ40年近く前のことですし、ボイスレコーダーを除くと、検証は難しいでしょう。

 そんな中、自分なりに考えた結論を述べてみたいと思います。あくまで仮説ですが、二つの点に関して公式な発表になんらかのごまかしが存在するが、それはある程度はやむを得ないものであり、多くの方が述べているような邪悪なものでは、なかったのではないかということです。勿論、よりベストな対応というのは存在するでしょう。ただ自分が指揮命令系の長であったとして、たった30分(不具合が生じたときから墜落まで)で様々な検討を行い最善の結論を導けるでしょうか。管理職の方は考えてみてください。部下が大変な問題を起こし、30分後までに何らかの対応策を決めねばなかったとしたら、周囲の部署との関係もあります。他部署への迷惑を避けるため、自部署にとってつらい決断をする可能性はありませんか。

2005年ギリシャのヘリオス航空522便の事故があります。機長らは与圧システムの不調で酸素が欠乏・気絶し、結局乗客もほぼ全員気絶し、オートパイロットで飛び続けた飛行機です。最後は燃料切れで山間部へ墜落し、全員死亡します。この時、2機のF16が機体を追跡しています。なぜでしょうか。翌日ギリシャ政府高官は次のように述べています。「あと5分アテネ上空へ飛行を続けていたら撃墜するつもりだった」。指揮命令系の長は時に命の選択を迫られることがあるでしょう。例えば、大雨の時、ダムを放流すると下流で被害がでる、そのままにしておくと上流に被害がでる。どちらを選びますか。

飛行機の経路やそれまでの会話から横田基地への不時着を目指していた可能性は高いと思います。しかし横田基地は街中にあります。飛行機の不時着です、うまくいっても救助できる人は10-20名かもしれません。もし街中に不時着すれば大惨事は免れません。分からないですが、想像を絶する被害が出る可能性があります。一方、山間部へ墜落すれば犠牲者は524名を超える可能性は極めてすくないでしょう。あなたか担当大臣(或いは現場指揮者)だったとして、決断を迫られたら、どうしますか。

横田への着陸は拒絶された可能性があるような気がします。そしてその部分の会話がひょっとしたら公開しにくいのかもしれません。命令を下した人は、たとえそれが正しかったとして非難は免れないでしょう。その人には家族がいます。こういった事柄に対して、人の感情を乗り越え例えば、一定期間過ぎたらすべてを公開し、その人の責任を問わないような仕組みが必要な気がします。動画や意見を上げるかたも一度そのような考え方を検討してもらえるとひょっとすると事態は前に進むかもしれません。

もう一つは不時着直前、123便を2機のファントム(戦闘機)が追尾していたという地元の方の証言です。公式見解では追尾はしていなかったということになっています。真実は分かりません。ただ公式の見解に関して自分が思うのは、ヘリオスの時のように撃墜のため追尾させるという選択肢もあったのではないでしょうか。或いはそれを公表すると一般の方が感情的になるから公開できないのだとしたら我々一般人ももっと成長が望まれているのではないでしょうか。

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